12月9日(日曜)~12月10日(月曜)の1泊2日の忘年会旅行、お疲れ様でした。
1日目は、午後2時に双実を出発し、「県立川の博物館」と「鉢形城歴史観」を見学し、午後4時半「かんぽの宿」に到着。 2日目は、「宝登山神社」に参り「長瀞の岩畳」を散策し昼食。「深谷駅」「澁澤栄一記念館と生家」を見学。
ほぼ計画通りにスケジュールをこなし、午後4時過ぎ双実に無事帰還。 幹事・会計・ドライバー役の岩崎さん、伊藤さん、中川・関根さん、ありがとうございました。
---《続く》---
1日目 12月9日(日曜)
1.県立川の博物館 見学
1000分の1 縮尺の荒川模型や、館内の種々の展示に全員堪能(?)しました。
2.鉢形城歴史館 見学:
鉢形城の名前は初めて知ったが、なかなか興味深い展示だった。
しかしながら、閉館時間近くのせいかも知れないが見学者は我々の他は数人のみ。閑散としていた。
【鉢形城とは】 初めて築城したのは関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春と伝えられている。その後、小田原の後北条氏時代に北条氏邦によって整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となった。(幹事注)
3.かんぽの宿 寄居
前述の博物館・歴史館とは違い、平日前日というのに
かんぽの宿は大賑わい。宿泊客の殆どがかなりの高齢者。(我々もかなりの高齢ではあるが‼)
6時半より、11,500円コースを13,500円コースにGradeUpした夕食。完食するのに一苦労する。
夕食後はいつもの様に1部屋に集まり、2時近くまでいつもの雑談。
1日目 12月10日(月曜)
1.宝登山神社
名物の黄梅も今はSeason Off。ロープウェイも休業中。
参拝のみで、急遽長瀞へ向かう事に。
【宝登山神社とは】 景行天皇41年(111年)、天皇の皇子・日本武尊による東征の際、尊が遥拝しようと山頂に向っていると巨犬が出てきて道案内をした。その途中、東北方より猛火の燃えて来るのに遭い、尊の進むことも退くこともできない状態になってしまった。すると巨犬が猛然と火中に跳入り火を消し止め、尊は無事頂上へ登り遥拝することができた。尊は巨犬に大いに感謝したところ、忽然と姿を消した。このことから「火止山」の名が起き、のちに「宝登山」となったという。(幹事注)
2.長瀞 岩畳
長瀞も、紅葉も終わりはや Season Off。 我々以外は 中年女性が 1人。
2.深谷駅
途中で見かけたバームクーヘン工場に立ち寄り、全員お土産を購入。 更に蕎麦屋で昼を取った後、深谷駅を見学。
なるほど東京駅に似せたかなり凝った造り。 駅前広場には渋沢栄一の銅像。
【深谷駅】埼玉県深谷市西島町三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)高崎線の駅である。 関東の駅百選に選定されている。(幹事注)
3.澁澤栄一記念館、生家(中の家)見学
先ず渋沢栄一記念館にて、渋沢の生い立ちから近代日本経済の父と呼ばれるようになった彼の業績を勉強。
立派で巨大な記念館に係わらず見学者は我々のみ。 学芸員(?)説明を途中退席するの気がも引け、最後まで聞く事に。
23歳まで過ごしたと言われる生家(中の家)は、正門・東門・土蔵等の建つ大きな田舎屋敷である。
ここも見学者は我々のみ。人懐っこそうな教育委員会(ボランティア?)の方に、屋敷のあちこちを案内してもらう。
それにしても、入場料無料にも拘らず閑散とした記念館と旧渋沢邸。 市(県?)の施設維持管理費の方が気にかかる。
【渋沢栄一】(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる。(幹事注)
予定コースの【旧煉瓦製造施設】は省略したものの、全ての予定をほぼスケジュール時間通りに終了。
持参アルコールを今回は久し振りに飲み尽くす程に話も盛り上がり、実りのある忘年会旅行であった。
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